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倉橋由美子『聖少女』


桜庭一樹の「わたしの男」は「聖少女」の影響を受けてだと知ったのはつい先日。わたしは本屋の正面に堂々と平積みになっている「わたしの男」の前でまるで犬のようにうろうろ。ふと文庫棚の方に目をやれば、「聖少女」が積まれているではないですか。半分目を疑い猫のような敏捷さでレジに向かっていたのでした。

わたしが20歳そこそこのころ「聖少女」は衝撃的な本だった。
惹かれるのに後ろめたい気分にさせる、好きだけど嫌いな本。
好きというのは、フランス的なもの、ジーン・セバーグに似てきた頭とか、ルイ・マルの恋人たち、など、わたしを魅了するワードやアニューイな空気がぎっしり。それに未紀の日記に描かれている一部は、湿度の高い少女のころを代弁しているかのようで恥ずかしさとともに感心するばかりで。もちろん、登場するジャズ喫茶によく行っていたせいもあるのです。
なのに、嫌い。
それはこの本の核となるところなので身も蓋もないのですが近親相姦のこと。わたしは父親の権威のもと小鳥のように暮らしていて何度も家を出ることを夢想し、じっさい行動を起こせない自分に失望していたくらいだから、父親を男として愛するなどということは吐き気をもよおすほど嫌悪すべきことだったのです。
そして、大人になる、ということはたくさんのものを埋葬し、少しずつ死んでいくことなのか、とおもったのです。

記憶というのは都合がいい。わたしは再読するまで、タブーな部分がすっかり抜け落ちていたのでした。当時、移入した「挽歌」の怜子さん「悲しみよ、こんにちは」のセシルと、未紀をただ重ねていただけだったみたいです。けれど倉橋さんは「大人のための残酷童話」を書いた方であります。そんなわけない。

未紀は、この世の秩序や道徳に反しても「タブー」と称されるものを大胆不敵にも受け入れ、それを浄化しようとした少女でした。潔く、迷い無くタブーに向き合うこと。少女独特の嘘も交え、愛に真っ直ぐ対峙する姿は最強の少女かもしれません。選ばれたもの、という感じすらあります。
対して、「ぼく」は未紀と共犯意識を持ちつつも、罪の意識に付き纏わされている。子供っぽい衝動に突き動かされ犯罪を犯しながら最終的にはアメリカに逃げきろうとしているのです。しかも出自の卑しさが自分を反社会的なことに突き動かしたと言ってのける。
「ぼく」、Kが未紀を「聖少女」と呼ぶのはこの点なのでしょう。

倉橋さんは「この小説のなかで、不可能な愛である近親相姦を、選ばれた愛に聖化することをこころみました」と述べています。また「聖性と悪とはシャム兄弟のようにわかちがたく抱き合っています」とも。
どこまでも深い分析によって描かれたこの「聖少女」を、わたしには読み砕くことはできないとおもいますけど、再読している間、わたしはすっかり「あのころ」に引き戻され
「あのころ」の刻印を陶酔しながら味わっていたのでした。。
いい歳をして、少々気味悪いですけど(笑。

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