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夕凪の街、桜の国


夏の暑い日、夕食の支度をしているときに必ずといっていいほど「夕凪」がある。
一瞬風が止まり、まるで地からわき上がるように熱気が満ちる時。一日の暑さが体の中に充満し、外に熱が逃げてくれない感覚。
その「夕凪」のような街、広島。

この映画は原爆が落ちた広島ではなく、落とされた広島の街が舞台である。原爆後13年が過ぎても苦しむ人達の姿と、美しい「桜の国」に変貌を変えた平成になってからの広島が対比されていて、静かに訴えかけてくるものがあります。

落とされたのに、小さな差別を生んでしまうこの国。
映画では、若い頃観た「地の群れ」のように被爆者差別への強い糾弾はないけれど、被爆した母親が被爆しなかった息子の被爆者の娘との結婚を反対するシーンや、被爆した娘が「生きていていいのか」と負い目を持ち続けるシーンがある。この不条理。
でも、原爆を落とされた被害者であるのに苦しみ続けなければならない哀しみが、静かにそして温かい周りの人達の愛で包まれて語られるからこそ、いっそう涙がわきこぼれてしまう。「生きたかった」という言葉が静かに、こだまし続けるのです。

そして二部「桜の国」では、原爆は、原爆が落とされたその日だけの惨事ではなく、平成になってからもその足跡は消えないということをひしひしと伝えてくる。
数年前、わたしは友人と広島に行き、原爆ドーム、記念館と周ったのです。広島の駅周辺の賑やかさと対比するように、思いがけず小さく静かで…消えない傷を抱え込むような緑の一角。展示されているものは想像を遥かに超えたものだったし、真新しい折鶴が芝生に積まれていて、すでに半世紀は過ぎているのに、そこは佇んで、あったのでした。不思議なことに外人の子供が多く、日本人が少なかったことが印象的で…。

映画として、二部は評価されないかもしれないけれど、今でも被爆によって、その連綿と続く放射能の後遺によって苦しんでいる人がいる、ってことを忘れないことが、この「桜の国」の意味だとおもう。

JUGEMテーマ:映画


| いら | 映画ー邦画 | 18:17 | comments(0) | - |
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